今がよければいい?
「今」に備える
先のことはどうなるか分からない、我慢するのはよくない、今を楽しく過ごすことが一番だ、そんな風に言う人はたくさんいます。難しいことは考えたくない、ルールに縛られたくない、何が正しいかよりも今自分の気持ちを満足させる事をしたい。そう考えて安易な選択をします。
しかし、 「今がよければいい」という考え方は矛盾しています。明日も来年も十年後も、すぐに『今』となるからです。「今」を良くするためには、やがて今となる将来のことを考える必要があります。
どんなに慎重に良い道を選び、努力し、苦難に耐え、真面目に生きていても、確かに失敗することや失うこと、苦しみに遭うことはあります。しかし、わざわざ不幸になる選択をする必要もありません。不幸を選択しているつもりはないと思いますが、将来に向けて最善の道を選択しないのなら、「幸せになろうとしない」という選択をしているのです。いつの間にか最高に幸せになれるほど甘い世の中ではありません。
自由
「自由に生きる」というのは、「何でも好きなことをする」とはちょっと違います。例えば、海に遊びに行ったとします。遊泳禁止の看板が立っていますが、自由なあなたは看板を無視して海に飛び込み、泳ぎを楽しんだとします。さて、次に何が起こるでしょうか。看板が立っているくらいですから、ここは危険な場所です。突然強い潮の流れに巻き込まれ、沖に流されてしまいました。あなたは何ができるでしょうか。必死に泳いでみるものの流されるばかり。声を上げてみても岸には届きません。後はただ救援を待つのみです。自由と思ってしたことが、結果的に自分をこの上ない不自由な状態に追い込んだのです。
誰でも、どう振舞うかは自由です。選択の自由があり、強制されることはありません。しかし、その結果から逃れることはできません。自分の選びによってもたらされる結果に、責任を負わなければならないのです。こつこつ働いて自分の家庭を得ることもできますし、酒に酔って暴れて家族を失うこともできます。あなたは自由ですが、自由には責任が伴うのです。どんなに無責任な人でも、必ず選択に沿った結果が訪れます。また、恐ろしいことにどんな結果になるか知らなかった、考えていなかったとしても、相応の結果に見舞われます。知らずにやってしまったことに関しては、人も神様も寛容を示してくれますが、だからといって不利益は逃れられません。五センチ先までしか見ないで歩くのは危険です。思慮を深め、遠く見渡し、適切な助言や助けを求めてください。幸せになるには、幸せな人の模範に従うことです。身の周りの幸せな家族をよく見て、積極的に自分自身に規制をかけ、自分の意思でモラルに従い、幸せな結果を得てください。
また、親や教師、教える立場にある方は休まずに警告を発してください。気付かぬまま人が不幸な結末に陥るのは見るに耐えませんし、もし警告しなければ、あなたに責任が降りかかります。誰もが選択肢と警告を与えられ、自分の意思で幸も不幸も選ぶ権利があります。
善悪
善いこととは、自分や誰かを幸せにしてくれることを言います。悪とは、一時的にお金や楽しみや評判を得ても、結局は自分や誰かが苦しむから悪なのです。そして、悪い習慣に染まって心が鈍くなっていない限り、誰にも不思議と善悪の判断がつくようにできています。悪い事をしながら幸せになることはできません。ですから積極的に良いことを求め、受入れてください。どんどん良い特質を身につけていくと、やがて今まで気にならなかったようなことにも改善の必要を感じるようになります。こうして、良いことを望む人はさらに良いものを得て幸せになり、俗的な快楽や楽しみばかり望む人は何も得られなくなってしまうのです。
セックスについても、時に強い誘惑に駆られるでしょう。さみしい時は抱かれたくなるかもしれません。楽しみや満足を得て、いつの間にかセックスに何の抵抗もなくなっても、夫婦でなければ良い結果は望めないと知ってください。