神聖な体
清さ
純潔は素晴らしいものです。愛されるにふさわしく、尊敬に値し、あなたが大切なものをきちんと守る誠実な人であることを表しています。処女かそうでないかは、物理的に見れば些細な違いです。膣口のひだに切れ目があるかないか、膣が狭いか入りやすくなっているか、それだけです。あとは脳に記憶が刻まれていることくらいです。性病に感染したり、精子への免疫が成立していなければ、何も残りません。表皮細胞は一ヶ月で新しくなります。体を構成する原子、分子自体も常に交代し、何年も経てばその人間は全く別の物質です。
「神は塵から人を造った」とはうまく言ったもので、この死すべき肉体は地表を漂う物質で構成され、流動的で、常に体外の物質と入れ代わっているのです。
そういうわけで、純潔を守らなかった女性が「汚らわしい」とひどく非難されることも多いですが、これはばい菌や泥が付いたような汚れではなく、心の汚れ、更には神聖なものに対する汚れということです。
心の汚れ
誰でも始めは処女や童貞を捨てることに抵抗を感じるはずです。それでも強い衝動が働くので、欲に魅かれ、疑問や警告の声を無視して関係を持ってしまいます。心が欲に従ったということです。生涯を共に過ごす確かな手続きもなく、今子どもができてしまっては困る無責任な間柄なのですから、少なからず欲望を満たし合うための関係だと理解できると思います。女性にとって、「セックス=愛し合っている」と捉える方は多いと思います。愛情がセックスにつながり、セックスによって満たされ、愛されていると感じるからです。しかし、愛情が結婚の境界を越えてセックスに及んだ時点で、それは純粋な愛から欲望へ転落しています。また、男性にとって愛とセックスは別物です。ある程度魅力的であればセックスの対象になりますし、本当にあなたを愛し、大切にしてくれる誠実な男性はむやみに襲ったりせず、むしろ性的な目で見てしまうことを嫌います。これは男女の感性の違いなので、にわかには理解できないかもしれません。いずれにせよ、欲に従ってセックスし、処女、童貞の何が大切なのかと思うようになったら、もう心は性の虜です。動物的で、わがままで、人を高めることよりも自分の満足を追うようになります。美徳を忘れ、楽しいことが一番だと感じます。性器は快楽の道具に過ぎず、尊い命をもたらす事を忘れます。次々と新しい人に情を注ぎ、性の記憶がシミのように残ります。
女性は生まれ持っての性質から、どうしても感情に翻弄(ほんろう)され易くなっています、処女膜が備わっていること、月々のものがあることは、女性に自分の体がどういうものであるかを思い起こさせてくれる大切なものです。女性の高い感受性は男性から見てとても素晴らしく、魅力的です。自分の体を性の道具にして心を鈍らせないでください。自分を愛し、子を宿す力が与えられていることを思い、大切にしてください。純粋な心を忘れないでください。そんな女性を、男性は心から愛します。
男性は、女性を虜にすることを喜ぶ性癖がありますが、欲に任せて行動すれば、愛すること自体が分からなくなります。女性を尊んでください。世の中ふしだらな女性ばかりではありません。
神聖を汚す
日本人はあまり宗教を尊ばず、神や仏に関してほとんど無知ですが、それでも純粋で神聖さを感じる人は多く居ます。昔こんなことがありました。ある人が攻めて来て、神様に犠牲を捧げる祭壇に、墓から掘り出した人骨や、獣を乗せて焼いたのです。その祭壇を大切にする人々は、祭壇を神聖に扱い、できる限り清く守ってきましたが、そのように祭壇を汚されたことで、もはやそれを使うことができなくなってしまいました。磨けばきれいになりそうですが、神聖なものを汚すとはそういうことです。
多くの人にとって、結婚は愛と喜びと光に満ちた神聖なものです。互いに愛し合い、結婚の誓約を守り、新しい命をはぐくむこと、家庭を築くために時間、労力、財産、あらゆるものを犠牲に捧げることを神様と人々の前で約束する神聖な儀式です。
そして、そのような結婚の相手となる恋人は、やはり神聖なものです。自らを神聖に扱い、清く保ってきた人を自然と尊敬し、大切に扱います。
聖書から採れば人間の体は神様の形に似せて造られた神聖なもの、生殖の力は神様から子を授かり、この世に命をもたらす神聖な力です。
若人の皆さん、どうか自分自身を神聖に扱ってください。いくら相手があなたを神聖に、大切に扱い、愛そうとしても、あなた自身が自分を神聖に扱わないなら、汚された祭壇のように、捨てられてしまいます。
あなたの体が欲望に任せて扱われたとき、純潔と徳と神聖は去り、あなたを真に愛する人に苦悩や悲しみや怒りを引き起こします。